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| バリのお土産としても人気のあるインドネシアの伝統治療薬『ジャムウ』は、本来ジャワの民間で母から娘に受け継がれてきた植物生薬系の治療薬のことを指します。現在では製薬会社によって処方されたジャムウの粉末やカプセルなどがたくさん市場に出ていますが、40年ほど前までは細々と一部の人々に伝承され、わずかな需要に応じるだけで、内容を改良することもなく、また消え去ることもなく民間の生活とともに存在していたと言われています。また現在でも、ジャムウのビンを何本か入れたかごを背負って行商する女性やジャムウの屋台があり、買い手から症状を聞き、記憶している処方の中から最適なジャムウを調合してくれます。それらジャムウを扱う人々が暗記している処方の適用症状の知識、調合技術や生薬の種類の見分け方は母から娘への世襲制で、すべて口伝で受け継がれていると言われています。ジャムウは古代仏教遺跡であるボロブドゥール寺院のレリーフにジャムウを調合している女性が描かれていることから、8世紀中ごろにまで遡る非常に長い歴史を持ち現在も変わらずに生き続けている治療薬です。何故ジャムウが廃れる事なく現在も民間に親しまれているのか考えてみると、ジャムウに配合される生薬の原植物と適応症状の関係を見てみると、それは単なる民間信仰や民間薬などとは全く異なり、著しく病理にかなっているからではないでしょうか。またヒンドゥー思想で病気の原因や治療を述べるインドのアーユルヴェーダとも深いつながりを持つインドネシア本来の治療薬であるジャムウの歴史や体系についてまとめてみます。 |
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| Jamuという単語を辞書でひいてみると @客・もてなす A植物や根や葉などから造られた薬 とあります。薬という単語は他に『obat』があります。 obatは動詞形になるとberobatに変形し『治療する』という意味になります。一方jamuの動詞形はmenjamukanとなり『客をもてなす』という@の意味の動詞だけでAの意味する場合には動詞形がありません。このように化学薬品が流通するようになってからはjamuという語は固有名詞化されobatが一般的な薬を指すようになったといわれています。 |
| usada(ウサダ)はバリ語でインドネシア語のobat、つまり『薬』という意味の単語です。さらに詳しく書き加えるとバリには同じ意味の単語としてubad、tambaがあります。ubadとtambaは薬という意味だけで使われますが、usadaには『薬』の他に『バリの治療学』という意味も含まれています。インドネシアにはロンタルと呼ばれるヤシの葉を長方形に切り、小刃で文字を刻んだものがあるのですが、そのロンタルの博物館に『Usada』というインドのアーユルヴェーダから発展させたかのようなヒンドゥー思想で述べられた病気の原因や治療薬、薬剤の処方が記されたロンタルが保存されています。このウサダ書の中ではジャムウという言葉は使用されず『jampi(ジャンピ)』という言葉が使われています。jampiは『治療のための魔法の呪術』といった意味になります。このことから古代ジャワ語では薬を意味する語はサンスクリット系のjampiとusadaであったということがわかります。 |
| 古代ジャワ語が話されていた時代の初期に建造された仏教遺跡『ボロブドゥール寺院』(現在の中部ジャワの都、ジョグジャカルタの西北32km)の壁面(第1回廊主壁下段)には、現在もジャムウを調合するのに使われているpipisan(ピピサン)と呼ばれる石の台とgandik(ガンディ)と呼ばれる石の棒を使い、1人の女性がジャムウを調合している様子の浮彫が残されています。 ボロブドゥール寺院は大乗仏教の遺跡ではありますが当時の文化、ヒンドゥー・ジャワ美術の象徴的遺品と言われヒンドゥーの神『Dewa Siwa(デワ・シワ/シヴァ神)』が約4ヶ所にも存在しています。また土地の人々の生活の姿も彫り出されていることからジャムウを調合している描写も土地の人々の生活の一連の一種と考えられます。ジャムウを調合している高床式の家の屋根にある祭壇では魔除けの薫香である『dupa(ドゥパ)』が焚かれていることから、当時はジャムウを調合する時はdupaを焚き、お清めとお供えをして厳粛に薬の調合をしていたと考えられています。そしてジャムウを調合する女性の前方にDukun(ドゥクン)と呼ばれるヒンドゥー思想から成る専門の特殊技能保持者、または治療業務にたずさわる者とみられる男性の存在が認められます。 この古代仏教遺跡であるボロブドゥール寺院はジャワ島がイスラム社会に変わっていくに従い忘れられ、1814年イギリス人副総統スタンフォード・ラッフルズに見出されるまで火山灰と密林に埋もれていました。同時にジャムウもヒンドゥー・ジャワ社会からイスラム社会へと生活習慣が変化していくにつれ、人々に忘れ去られていったと考えられています。 |
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| dukun(ドゥクン)とは『まじない師、昔ながらの医者、産婆』という意味ですが、正確にはヒンドゥー思想から成る専門の特殊技能者を指します。現在ジャワには、インドネシア人でイスラム教徒のドゥクンもいますが、特に病気の治療の際にはすべてクルアーンに従った治療をされ、ジャムウについては自ら調合をせず、必要に応じジャムウの名を指定し、患者をジャムウ屋に行かせるとのことです。従ってイスラム系のドゥクンはジャムウと直接の関連はないものと判断されています。その他にTabid(タビドゥ、古代ジャワ語)と呼ばれるドゥクンもいますが、このタビドゥはインドネシア語ではTabib(タビブ)となり『インドネシア人以外のイスラムの医者』という意味になります。バリでは現在でも病気を治療するドゥクンをバリアンと呼び、1人のドゥクンがバリアンになったりドゥクン・ウィウィタンとして儀式の進行も務めます。 |
| バリアンには世襲制のBalian Tetamian(バリアン・トゥタミアン)と、一定の決められた学習を修めたBalian
Usada(バリアン・ウサダ)があります。バリアン・ウサダは一連のLontar Usadaを学びます。ロンタル・ウサダの内容は左に示します。ウサダの内容はいずれもヒンドゥー思想に従っており、病気の原因も治療法もヒンドゥーの3人の神、破壊の神Siwa(シワ/シヴァ)・維持の神Wisnu(ウィシュヌ)・創造の神Brahma(ブラフマ)に根源が置かれています。これはアーユルヴェーダのトリ・ドーシャ説(3つの質/空と風の要素を持ち破壊を司るVata・火と水の要素を持ち維持を司るPitta・水と土の要素を持ち創造を司るKapha)の概念と完全に一致しています。このことから、バリアンまたはドゥクンの調合したジャムウは、ヒンドゥー思想つまり古代アーユルヴェーダの基礎の上に立っているといえます。 さらにバリアンはブラックマジックのウサダも学び、それらを克服し病人を治療したと言われています。ロンタル・ウサダは現在でも1巻ずつ紐でくくられ経典のように保管されています。 |
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| 王家の図書館に『Serat Primbon Djampi Djawi』(スラ・プリムボン・ジャムピ・ジャウィ)という古代ジャワ語を含むジャワ語の敬語で書かれた全6巻に及ぶジャムウの処方集があります。この書名で使われているジャムピの意味には複雑な解釈が必要となります。ジャムピをインドネシア語で解釈すると『魔法』、ジャワ語で解釈すればインドネシア語の『薬』に対するジャワ語での丁寧語、つまり『お薬』と訳すことになります。しかしジャワ語のジャムピにも呪術的な意味を有することがわかっています。中部ジャワ地方の言葉にサンスクリット系の語、japa(ジャパ)およびjapin(ジャピン)があり、ジャパは『治療効果のある呪文、魔法』、ジャピンは『ジャパをする人』を意味します。つまりジャワ語で書かれた場合、ジャムピはこの中部ジャワで使われていたサンスクリット語のジャパ、ジャピンから派生したジャムピであって『治療効果を期待して行った呪文や魔法の術』と同じ意味を持っているとの説です。ということはジャワ語のジャムピは1.ジャムウと同意語、2.治療のための呪術または魔法の術、の二つの意味があることになります。 初めはジャピンがジャパで治療を行っていたのが、やがて呪文を念じながら薬剤も用いるようになってジャムピという言葉に発展したと考えられています。従って王族間では治療そのものをジャムピと呼ぶようになり、その単語は民間に対してはジャムウの敬語または上層階級の言葉として理解されていったと推測されます。 この『スラ・プリムボン・ジャムピ・ジャウィ』には殆どの病気の治療薬が記されており、他に催淫薬や外用薬まで記載され、調合法、適用法が詳細に説明されています。また王家の保存箱にあった記録書だけではなく、ジャワとマドゥラ地方の民間で使用されていたジャムウ、および子どもや老人が使うジャムウの処方もまとめられています。この処方集は序文中にバタヴィア(現在のジャカルタ)の名があることから、早くても1618年以後に編集されたものとされています。 |
| ヒンドゥー思想から成るジャムウは宗教の変化(ヒンドゥー教からイスラム教へ)でドゥクン、バリアンが消滅またはバリへ移動し、彼らの理論体系は残らなかったけれども、その処方と調合法はそのままジャワに残され、一部の人々が大切に伝承するようになったと考えられています。 バリにおいて民間のジャムウがあまり普及していなのは、バリアンやドゥクンが身近に存在していたからなのかもしれません。現在も大切に保管されているウサダの原文は、古代ジャワ語も含むジャワ語、バリ語およびジャワ文字などが混同して使われており、処方に組まれている生薬名はバリで呼ぶ植物名よりもジャワで呼ばれている名称の方が多いということです。そのウサダがバリに多く存在しているのに何故ジャワ語で記されているのでしょうか? ウサダはまずジャワで発展し、それがさらにバリで発展したこと、そしてヒンドゥー教からイスラム教への変遷当時、その思想が消滅するのを惜しんで盛んに記録されたこと、当時Mpu(ムプ)と呼ばれた聖人たちがジャワとバリから集められ、いろいろな記録書を作った事実があること、そして当時は古代ジャワ語で記録することがより高尚であると考えられていたなどが挙げられます。 また記録の内容は特にKebatinan(クバティナン/精神的・内面的・神秘的なもの)の理論、民衆の関心事、子どもの出産、大病(らい病)、高熱病など治療困難な病気の薬について、進行段階に応じ薬剤が順次述べられています。 |
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| ボロブドゥール寺院の壁面にあったドゥクンらしい人物も含めて、治療薬の調合の描写から今日のジャムウまでを考えると、ヒンドゥー思想から学んだバリアンやドゥクンの使っていた治療薬がヒンドゥー・ジャワ時代に一部の民間や王家に残され、後に社会がイスラム思想になると、王家にあったジャムピは秘法となって継承されたのかもしれません。そしてある時期には秘かに民間のジャムウがそのジャムピに追加されたり、そのジャムピが逆に民間に許可されたりで、結局民間ではそれらが大切に混じりあい、ある種の栄誉をも持ちながら引き継がれていたものと考えられます。社会がイスラム思想へと変遷していったために、治療概念としての根本思想は地下に葬られ、現実的に効果のあるジャムウの処方と調合法のみが一人歩きをしていたといえるでしょう。 現在のインドネシアでは国民の90%もの人々がイスラム教を信仰していますが、インドネシアのイスラム教は状況に調和しながら平和的手段によって広められ、ヒンドゥー時代のものでも、良いものがあればこれを砕かずに継続させ、新しい教義と調和されてきました。世界最大級の大乗仏教遺跡であるボロブドゥール寺院、インドネシアに数あるヒンドゥー寺院のなかでも最大規模であるプランバナン寺院はインドネシアが世界に誇る文化遺産となっています。ジャムウはインドネシアという懐の広い国であったからこそ受け継がれてきた伝統治療薬なのかもしれません。ジャムウを調べるほどにインドネシアの魅力を感じずにはいられません。 |
| 参考文献:平河出版社『ジャムゥ インドネシアの伝統的治療薬』 |
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