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| シワとなってシワを供養すべし。 |
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| 無数にあるといわれる寺院とその儀礼、 供え物を運ぶ女性の行列、 祭りのような盛大な火葬の行列・・・。 これらこそバリが観光客に提供する最も重要な風景である。 世界最大のイスラム人口を持つインドネシアにあっても、バリではほとんどの人がバリ・ヒンドゥーを信仰している。しかしバリ以外のインドネシアにおいても、古くからあるヒンドゥー文化の影響はその痕跡を今日も留めている。 バリは他のインドネシアがイスラムに変遷していっても、これに追従することなく、ヒンドゥー文化を守り続け、また他の文化や宗教を旺盛に取り入れてきた。 バリ人は自分達の起源を東ジャワのマジャパヒト王国によるバリの土着の王国の征服に求め、自分たちをマジャパヒトの子孫だと考えている。彼らにとってマジャパヒト征服以前のバリは《混沌》の状態であり、マジャパヒトの征服をもって初めてバリ・ヒンドゥーの文化が成立したのである。 観光地としてのバリが《商品》として提供している「バリ文化」とはバリの大多数の人々が奉じているバリ独特のヒンドゥー教文化である。 バリ人のほとんどが信奉し、バリ島を特徴づけているこのヒンドゥー教はバリ・ヒンドゥー・ダルマと呼ばれ、ジャワの原始宗教に大乗仏教とシワ派ヒンドゥー教が混じり合った「シワ・ブッダ」と、バリ土着の文化、そして後にはイスラムからスーフィズム神秘主義の要素も取り入れた「特異な」ヒンドゥー教である。 |
| インドネシアの建国五原則パンチャシラのひとつに「唯一神に対する信仰」というのがあり、インドネシア国民はイスラム、カソリック、プロテスタント、仏教及びヒンドゥーのいずれかの宗教あるいは神を必ず信仰しなければならない。 世界最大のイスラム人口を持つインドネシアの中でマイノリティーに属するバリのヒンドゥー教徒たちが、ヒンドゥー教を原始的な多神教と弾圧するイスラム教徒の批判を排し、自分たちの宗教をインドネシア公認の宗教とするためには、ヒンドゥー教も「唯一神」に対する信仰でなければならなかった。 そこでバリ・ヒンドゥー教の多神教的な現れを公的には次のように解釈している。すなわち、さまざまな神々として現われはするがそれは唯一神サン・ヒャン・ウィディのさまざまな具現にすぎず、ヒンドゥー教も唯一神への信仰に基づいていると解釈する。 しかしこれは合理的な公式的見解であり、人々の実際に行う儀礼行為を見ればサン・ヒャン・ウィディよりもヒンドゥー教のさまざまな神々、そしてそれ以上に、地方によって異なる独特の土着神や家系により異なる祖霊、及びさまざまな物体に宿る霊に対する崇拝が顕著である。 死者・祖霊・神 死者の霊魂それ自体は崇拝の対象ではない。 死は汚れを意味し、死者に対する恐れと忌みの観念は強い。 汚れた死霊と死者の魂を浄化するための儀礼が火葬儀礼である。 葬儀を経て死者の魂は浄化された霊魂となる。 さらに手の込んだ儀礼を経ることにより特定の個人の霊魂であったものはその個人性を失い、集合としての祖霊となる。こうして、二重の儀礼を経て、死者は汚れた存在から、清らかな霊魂、そして祖霊にと変化する。 人々が信仰しているのはこの神格化された祖先の霊である。 |
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| バリでは官公庁や学校で使用される太陽暦の他に「静寂の日」(ニュピ)があるサカ暦、バリの人々の暮らしに密着しているウク暦を用いている。 サカ暦では1年は12ヵ月から成り、それぞれの月はサシと呼ばれる。(サカ暦の年号は西暦から78を引く。) 第9番目のサシの新月にあたるニュピの前夜はオゴオゴと呼ばれる山車が練り歩き、爆竹を鳴らし、大騒ぎすることで悪霊たちを目覚めさせるが、各家庭では悪霊たちへの供え物を置いて村から去るように祈る。 そして日が沈むと同時にバリは打って変わったように静寂に包まれる。 この日は交通はもちろん空港も閉鎖され、灯りをともすこと、働くこと、火を使うこと、外出することも許されない。 バリの人々は悪霊たちが去るのをただひたすら静かに待つ。 ウク暦は7日から成る30のウクを中心に構成され、1ヶ月は35日、6ヵ月の210日で暦が一巡する。 ウク暦に基づく全島あげての祭りが第11週目の水曜日、ガルンガンから第12週目の土曜日、クニンガンにかけて行われる。これらは祖霊や神々が地上に降りてくるとされている日で、寺院でさまざまな芸能が演じられる。 |
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| バリにはブラフマナ、クシャトリヤ、ウェシア、スードラの4カーストがあるがインドのように厳密な職業との対応や内婚の制度はない。 職業はほぼ完全に自由であり、婚姻も数代続けて下のカーストと結婚してはじめてカーストを落ちることになる。ブラフマナ階層を構成するのがプダンダと呼ばれる祭司たちである。 プダンダの行う儀礼は太陽の崇拝と呼ばれているが、これは太陽に現れているシワ(仏教のプダンダの場合は仏陀)を崇拝するものである。 プダンダは自らがシワとなったことをはっきりと意識するため儀礼では冠を被る。これは、人間は本質的にシワと同じものでありながらそのことを忘れているために輪廻や苦しみの生存があるのであり、自己の本質がシワと同一であることを再認識すれば死後、あるいは優れた者なら生前にシワと一体になって解脱にいたることができるという教理によるものである。南インドのシヴァ教寺院のバラモン(ブラフマナ)たちはバクティ(信愛)の教えの影響を受けて、うやうやしく神の崇拝を行うだけで、自らが神と等しいなどという考えには震え上がるであろう。 プダンダは数秒のうちに五人の神を象徴する複雑なムドゥラ(手印)を空中に描き、五人の神のマントラを唱え、金剛鈴を使用して、聖水(ティルタ)を作る儀礼を行う。またバリにおける儀礼中の複雑なムドゥラはインドにおいては非常に簡素である。金剛鈴の使用も仏教に影響を受けたバリ独特のものである。 バリは町中や店先のいたる所で神像が飾られているが、不思議なことに寺にはほとんど神像がない。 それはブサキのような大寺院であってもそうである。 あるのは空の仏壇のようなものやパドマサナとよばれるただの椅子である。バリにおけるヒンドゥー教の多くは16世紀にイスラムの圧迫を受けてジャワから移ってきたものであり、それ以前の遺跡には神像が見られることからイスラムによる影響で神の形を作らなかったということが考えられる。 インドのヒンドゥー寺院では神像を派手に飾りつけ、人々は神像にひざまずくが、バリでは神像がないため椰子の葉を切って細工した多量の供物をきれいに並べ、豚の丸焼きや牛の頭などが一面に並べられる。またひざまづく神像がないので自らが踊り狂ってトランス状態に入って神を迎えようとする。 このように神像が不在のバリであったからこそ「見せる」儀礼が発達したといえる。 |
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| バリでは毎日いたるところで供物をみかける。 朝、一日分のご飯を炊くと、何よりもまずそれは家の中のさまざまな 場所に供えられる。 バリでは各家庭にサンガーと呼ばれる屋敷寺がある。 ここで祀られているのはデワ・ヤン、ピタラ・ヤン、ブタラ・ヤンなどと呼ばれる祖霊である。またある程度の広さを持つサンガーの場合は、内部にもっとも重要な祖霊を祀るプリンギーと呼ばれる建物もある。ここではサン・ヒャン・ウィディが祀られている他、ヒンドゥー三神を祀るクラムン、人間の潜在能力を司る神を祀るプリンギー・タクス、悪魔であるが家の守り神でもあると考えられているブタ・カラへの供え物をそなえるトゥグなどの建物が配置されている。 また王家の家系ではサンガーにあたるものはムラジャン、あるいはプラムジャンと呼ばれている。 このサンガーへのお供えはもちろん、台所の竈、井戸、そして地面にも新しいご飯を少しずつ取り、小さくきったバナナの葉にのせたものが捧げられる。 夕刻には悪霊に対する小さな捧げ物が必ず供えられる。 バリにおける供物は、何よりも神々、祖先、悪霊に対する「もてなし」である。もてなしであるのだから供物の材料は新しいものでなくてはならない。だからすでに捧げられた供物はその「核」をもって行かれた残り物ということになる。 |
| バリの人々は人の成長の節目節目で必要な霊力を確保し、またそれにともなう危険から身を守る方策を授けるために多くの通過儀礼を行う。 生後12日目の儀礼では両親は子どもの名前をバリアンに決めてもらう。バリアンはトランスに入り、その子が誰の生まれ変わりであるかを確認し、その名を告げる。通常三代前の父系親族の名が告げられることになる。生後3ヶ月目にこの名前がバリアンかプマンクーにより子どもに授けられる。 ヌルブラニンと呼ばれる入魂儀礼は子どもの魂が完全なものとなり、子どもが一個の人と認知される儀礼であるが、祖先霊の再生が完了する日でもある。 また幼児の成長段階や社会の成員としての位置付けの変化に照応して、死亡した場合の葬法に変化がみられる。 ウク暦1年目の誕生日までは子どもの魂は神的な存在とされ、死亡しても何の儀礼も行わず、屋敷地内に埋葬するだけである。 それが過ぎてからは一人前の儀礼を施して村の墓地に土葬することになるが火葬はまだ許されない。 ムクトゥスの儀礼で子どもは初めて家の成員として認められ、祖霊神の被護を受けるようになり、死亡した場合も火葬となる。 ただし、家の重要人物の火葬の際に形代の人形を一緒に火葬するので結局は土葬である。 それが過ぎると子どもはバンジャールの成員に認められ、その寺院の信徒となる儀礼が行われ、通常の火葬を含む葬儀全てを受けられるようになる。 悪事をなした者は地獄に落ちたり、動物に生まれ変わるというインド的な観念はバリ人にもあるがそれはあくまでも悪人の問題であり、 普通の人が心配する問題ではない。 普通の人の霊魂は火葬儀礼を受けることができれば(大罪を犯した者はバンジャールを追放されるので火葬儀礼を受けられない。)天界に赴き、神格化した祖霊として家寺に祀られる。 さらに浄化儀礼をかさねてもらうことで天界の階層、神格を上げられる。そしてある時、自らの家系に子孫として再生することになるのである。 自らをシワに等置できるほどの霊力を持つプダンダや特別の修行をして最高の境地を得た者だけが輪廻転生の世界から解脱できる。 |
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| 我々の人生は業と輪廻を清算するためにある。 神・恩人・祖先に大きな借財を持ちながら生まれてきたのである。 |
| 1・マナチカ 全ての行動は思想に基づく。良い行動は良い思いから。 誘惑は我々から冷静さを奪うことがある。 我々は常に平常心でいられるよう努めなければならない。 2・ワチカ 我々の発する言葉にはそのまま心が表れる。 相手が平和と幸せのうちに聞けるよう言葉を選び、話さなければならない。 3・カイェイカ 行動は自分自身の現れである。 思慮ある心遣いと適切な表現に基づいた行動をとらなければならない。 全ての殺生は許されない。 |
| お前は私であり、私はお前でもあり、そこの木でもある。 お前の苦しみは私の苦しみであり、私の喜びは、お前の喜びでもある。 |
| 1・アグニタ 他人の家や財産を破損してはならない。 2・ウィサダ 他人を毒したり、痛めつけてはならない。 3・アタルワ ブラックマジックや悪い教えを学んではならない。 4・サストゥラグナ 混乱してはならない。 5・ドゥラティスクラナ 他人を騙したり、犯してはならない。 6・ラジャピスナ 他人の悪口を言ってはならない。 |
| ※参考文献:春秋社『神々の島バリ バリ=ヒンドゥーの儀礼と芸能』 |
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